「原作」が先か「映画」が先か。

先日、友人のBlogにコメントをしました。
「Blogが一記事書けそうなくらいのコメントをありがとう」とのお返事をいただいたので、載せてしまいましょう。
では、

 

「原作」を読むことは「原作」と自分との対話で成り立っていると思う。考え、感じ、振り返り、一旦閉じ、また読む。その主導権は自分にある。
「映画」を観ることは「映画」というエンタテインメントに参加することになる訳で、始まったら、終わりまでの時間は決まっていて、物語との対話に主導権は自分にはない。

この、対話と主導権の有り様が、「原作」と「映画」の違和感になっているのではないかと思う。エンタテインメントであるならば、俳優の「演技」や「映像表現」「音楽」といった要素に注目する方が収穫があるのかもしれない。

そして「原作」が「映画」になることは「映画化」と言われるが、
この「映画化」には二段階あると思っていて、「映画」作品になって公開されるのが第一段階、「映画」を観て、それ以後に「原作」を読むと、頭の中で登場人物が映画のキャストで登場してしまうのが第二段階。
この第二段階の「映画化」が頭の中でされてしまうと、素の「原作」に戻れなくなっってしまう。つまり「想像」が「固定」されてしまう現象が起きる。

近い例だと、「原作マンガ」が「アニメ化」されると、それ以後コミックを読んでも、キャラクターの声や喋り方は、頭の中でアニメの声優になってしまう。
おそらく「おっす!オラ悟空!」は誰の頭の中でも一緒であろう。

これが、嘆くべきことならば、「映画化」も「アニメ化」もあまり歓迎できたものではないように思うが、共感はしやすくなる。

一方、ノベライズといって、「映像作品」を「書籍化」する場合もあるが、「原作」の「映画化」に比べて全く感心が低い印象がある。
おそらく、先に固定されているからであろう。

やはり、順番は、「原作を先に読む」が好きである。

子どもが、絵本に夢中になるのは、映像化より固定が弱く、想像が膨らみやすいからかもしれない。それだけに読み聞かせる親のスキルは、重要であろう。
ふと、クリエイターやアートの世界で活躍する人が、幼少の頃に絵本の読み聞かせをされていたかどうかが気になってきた。

 
コメント投稿したBlog「RIBBON WORKS」
http://ribbon-works.jp/archives/3478
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